杭全神社|大阪|格安の神前式・神社結婚式

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杭全神社

杭全神社について

平安の初期、征夷大将軍坂上田村麿の子、広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構え、その子当道が貞観四年(862)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが第一殿です。

当社所蔵の「平野郷社縁起」によると、「昔、坂上某に神託ましまして、我はこの郷の地主の神也。時の至るを待つこと久し、則ち山城国愛宕郡八坂郷祇園の牛頭天王これなり、今よりこの郷にあがめ祭りなば安穏人民豊楽を守らんと宣ひ、まのあたり影向し給ひしかば、有難覚侍りて、勧請し奉りしと也。其の比影向し給へる所に生えた松なればとて、今に残りて当社影向の松とぞいひ傳へ侍ける」とあります。

降って、建久元年(1190)に熊野信仰の流行するに及び、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を勧請したのが第三殿です。同じく「郷社縁起」によれば「抑當社に熊野證誠大権現の尊形遷座ましましけるは後鳥羽院の御宇建久元年三月三日、當社へ山伏一人笈を負ひ来り社僧にかたりて曰く、役の小角御手づから彫み給ふ熊野證誠大権現の尊形を付属すべし、當社牛頭天王とならべてあがめ奉りなば、此の郷を守らせ給ひ長く繁栄の地とならんといひ侍りしかど、社僧うけひかざれば、山伏跡をけちて帰り去りしが、當社より四五町ひつじさるの方なる一本の松に件の笈をかけ置きぬ。其夜今の権現鎮座ますほとりへ此松より光をはなてり、笈かけ松とて今に残れるは是なり、加之その比當社の境内におゐて一夜に梛の木三本生出て烏三羽飛来り、人をも恐れず三本の椰にやどれり、今の世迄も椰を神木とあがめ烏を使鳥とするは是なり。其時人々奇異の思ひをなし松にかけ置し笈を開き見侍るに、微妙瑞嚴の尊形おはしましければ、身の毛もよだちて有難く覚へ、まぎるべくもあらず熊野證誠大権現と拝み奉りぬ、殊更種々の奇瑞ありしかば七名の長是をはかり、日あらずして社壇あらたにし奉り、尊形鎮座ましまして證誠殿とあがめしかば、貴賎心を傾け遠近歩を運び、神慮を仰がざるはなかりき」と、證誠殿勧請の由来が記されています。

更に、元享元年(1321)に熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請建立したのが第二殿であり、この時、時の帝後醍醐天皇より「熊野三所権現」の勅額を賜りました。「郷社縁起」では、「後醍醐天皇の御宇元亨元年、當社熊野権現影向の来由を天聞に達せしかば、叡慮浅からず詔勅ましまして、證誠殿の社再興ありて更に熊野三所権現を勧請し奉り、此一郷の總社にいはひ、若一王子等の諸社、熊野権現の本地阿弥陀如来安座し給へる寶塔以下の諸堂修造こと終り、華表の額熊野三所権現と宸翰をそめさせ給ひ、神宮寺社僧寳祚長久を祈り奉るべき宣旨を下し給ひぬ」とあって、この時に荒廃していた諸殿・諸堂が修復され、詔勅によって熊野権現社が総社となり、第一殿の祇園杜と並び称されるようになりました。

明治になって、社号を杭全神社と定められ、本来の祇園社(素盞嗚尊・牛頭天王)を本社、熊野三所を雑社熊野神社とし、證誠殿を摂社、田村堂を別社、その他を末社と定められました。明治五年に社格を定められた時、郷社に列せられ、同三十九年に指定神社となり、同四十年に幣帛供進神社に指定されました。昭和五年に府社に昇格、そして戦後は宗教法人杭全神社となり、今日に至っています。

杭全神社のウェディング

杭全神社の神前結婚式
奥床しい日本の結婚式がここにあります。

杭全神社にお祀りされている
伊弉諾尊と伊弉冉尊は
日本で最初に夫婦になられた神様。
最古の書物『古事記』などにも
そのご結婚の様子が記されています。

夫婦の道を定められた
神様に見守られながら
ふたりの巡り合いに感謝し
素晴らしい家庭を築くことをお誓いする。

玉串奉奠 誓詞奏上 三三九度
ひとつひとつに想いを込めた
神社ならではの厳かな儀式で
思い出に残る結婚式をお手伝いします。


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